Mau keMANA?
マウクマナ?
お店の名前は《MATAHARI(またはり)》。インドネシア語で「太陽」を意味する。
店主のマナさんがひとりで経営しているこのジューススタンドは、2017年6月に1周年を迎えた。夫婦揃ってインドネシアのバリ島が好き。夏も好き。マタハリはぽかぽか照らしてくれるイメージの言葉だし、力強い生命力を感じることから店名に付けた。お店で主に扱っているのはフレッシュジュースやコールドプレスジュース、ロースイーツ。それにマナさんが選んだ野菜や新鮮卵、ヨガマット、ヨガウエアや、バリ島では知らない人はいない万能薬ボカシラブオイル(Minyak Pak Oles)、ビーズラップなどなど多岐に渡る。
三島出身のマナさん。愛鷹出身のご主人と結婚して沼津に越してきた。
お店に置く商品やメニューを決める際、マナさんの中に一貫したルールがある。
自然に優しいもの。
身体に優しいもの。
地元のもの。
シンプルだけれど《いいものを売る》ということ。
自分が信じるものを、お客さんにも紹介したい。彼女は仕事と信条にギャップをもちたくない人。仕事だからと割り切って体によくないものを提供することはできない。マナさんと話していると、まっすぐな性格の彼女にはそれ以外の選択肢はないのだと感じる。

自身もひどいPMSに悩まされていた。強い薬に頼らなければだめかもしれないと思ったところから、独学でいろいろ調べた。たまたま自分にはヘンプが合っていて随分と助けられた。
新しいことを知るためにインターネットも利用するけれど、母親が大きな情報源だという。正確に言うと、幼かった頃に母親が自分にしてくれたこと、家族のために選んでくれたもの、手触り、肌ざわりの記憶を思い起こして、そこから学ぶことが多い。
お母さんはマナさんが小2くらいで大きな病気をした。治療の過程で、強い薬を止め東洋医学に変えた。鍼灸、気功などをずっとやっていたという。スロージューサーも、今のように知られるずいぶん前から取り入れていた。
母親は、家族と世の中をつなぐフィルター。家の中に食べ物や思想を持ち込むのは母親であることが多い。マナさんのお母さんの場合、妹さんが障害者だったということもあってか、家族の健康にはとてもまじめだったという。添加物など《異物》に敏感に反応し、体にいいものを家に取り入れてくれていた。
お母さんのそのような姿勢は、今のマナさんにも通じる部分があって、自身も無添加調味料を使用しているという。かといってそれ以外を完璧に除外しているわけではなく、外食も好き。店を選ぶときは体にいいものを極力選ぶようにしているくらい。ヨガがすき。仕事上がりのビールは最高。そのゆるやかさが彼女の素直な性格を表しているように感じた。




MATAHARIは学園通りの高校と駅の中間にあることから、学校帰りに立ち寄る学生も多いという。中には、店頭に並ぶ見覚えのない商品について、質問をしてくる高校生もいるそうで、そういう時は出来うる限り丁寧に説明をするようにしているという。商品を説明することは、世の中の仕組みや考え方の説明をすることに繋がる。彼女のフィルターを通してここにやってきたものが、店を訪れる人の思考のアンテナにひっかかり、ものを考えるきっかけになる。それはまさに、マナさんのお母さんが幼かったマナさんにしてくれたことと同じだ。
前述の通り、マナさんはインドネシアのバリ島を気に入っている。7年前に初めてサーファーの夫に誘われて訪れて以来、年に1度か2度は行っているという。島にはサーフィンに適したよい波が1年中やってくる。
その当時も今も、島内の移動はレンタルバイクの2人乗り。風を感じながら、ヌガラ、クロボカン、クサンバ などいろんな地域にバイクで訪れた。海のエリアでも山のエリアでも、島の空気が体に合うと感じる。世界有数のビーチリゾートでもあるバリ島。30代働き盛りの人口が多いことから、活気があると言われている。バリ島にいると自己肯定感が高まって、心と体のバランスがとれる。田舎の生活と流行りを押さえた街並みの絶妙なバランスもおもしろい。
マタハリに置いてあるヨガウェアは、バリ島のアーティストに細部までリクエストをしてつくってもらったもの。島を何度も訪れているマナさんだからこそ実現したオリジナル商品だ。

バリ島はいつかは住みたいと思うくらい大好きな場所だけれど、今はここが自分たちの居場所。
夫婦で進む道の途中。今は沼津で働くことや、沼津に住むことを楽しんでいる。1年中どこかしらで行われているフェスやマルシェに参加すると、《ぬまづ愛》強めの人が多いと感じ嬉しくなる。高校生の頃の「おまち」の記憶も鮮明だ。沼津のおしゃれな洋服屋に、買い物に行くのに恥ずかしくない洋服がほしいと思っていた高校時代。そんなワクワク感を、この街でまた味わいたい。
MATAHARIのある場所では、以前他のオーナーが雑貨屋や革クラフト屋、古着屋をしていた時期もある。物件を探している時に目に留まり、学園通りからの人通りもあるしいいなと思った。借り手が決まらずシャッターが1年間閉まっていた。マナさんが内覧するために1年ぶりに開けると、光がたくさん入ってとてもよい雰囲気だった。すぐに借りることを決め、夫と二人でリノベーションをした。




オープン当初は、ターゲットと想定していた同世代の女性が、予想に反してあまり来なかった。様子見をしているのかな?という期間は数ヶ月続いた。逆に年配の男性、高校生はすぐに反応してくれたという。新しいお店にふらりと入ってみるという感覚が、大都市とは違う。慎重で新しいものに対して保守的でもある沼津の人は《ふらり》のハードルが高い分、よい緊張感をくれる。夏祭りやフェス、マルシェ以外の時の人の流れがもっと増えればいいですね、とマナさんはいう。
町に住まう人々の日常のお金の使い方が、何年か先の同じ場所の景色をつくってゆく。何を選びどこにお金を費やすのか。大型商業施設や、インターネットモールの便利さに魅力を感じるのも事実だけれど、少々手間をかけても地元の顔見知りからものを買うという選択肢を、たくさんの人が選んだ先の未来の沼津は、きっとあたたかい。
沼津のこどもたちに、大人になるまでにしておいたらいいことをアドバイスするとしたら?と聞くと、即答が返ってきた。それは「英語!」。マナさん自身も現在習っているという。語学の力は、自分を行きたい場所に連れて行ってくれる。インドネシア語も習いたいと思っているそう。
「Mana,Mau kemana?(マナマウクマナ?)」
何かの呪文や早口言葉のようなこの言葉。インドネシア語で「マナさんどこにいくの?」という意味。マナさんの道はこれからどこに続いているのか。例えばもう少し広い店舗ならお客さんもゆったりとくつろげる。例えば自分の畑をもち、採れたて野菜でスムージーを作ってみたい。ビジネスとして大きくしたいというよりは、プラスに向かうエネルギーでイメージを膨らませているように見える彼女。
ゆっくりと果汁を絞るように、マナさんのていねいな暮らしは続いてゆく。
(インタビュー/2017年9月)
