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土屋聡美さん 〈Flower work Akkord 〉

アコルト ちいさなまちの ちいさなはなやの ものがたり

第一章 はじまり

小さなお店のまんなかにある木のテーブルに向かい合って、私は彼女の言葉を聞いていた。はなしをすればするほど質問が湧いてきたけれど、すぐに答えを聞いてしまうのはもったいないようなそんな気持ちになった。言葉の隙間を花の香りが埋める。あの花はなんていう名前だろう。どこをどう歩いて彼女はこの空間にたどり着いたのか。妙に気になる透明な人。

それは、今から20数年前の夏。

当時高校2年生だった聡美さんは、仲見世の入り口にあったマルサン書店にふらりと立ち寄った。「友達とちょっと涼もうとおもって」軽い気持ちで入った空間。そこで後の人生を大きく変える1冊の本に出会う。

何万とある本の中で彼女の心をとらえたのは、フラワーアーティスト高橋永順の著書「永順花のレッスン」。この本を読んで《フラワーアーティスト》という仕事があることを初めて知った彼女は、「わたしこの仕事がしたい」とすぐに思ったという。彼女に迷いはなかった。幼少期の花の思い出といえば、盆栽や植物が好きだった祖父を手伝って、植え替えをしたり土を触ったりしたことが浮かぶくらい。

「花屋か、いい仕事だな」と、唯一最初から言ってくれたのもその祖父だった。そんな彼女の思いを知った友人のひとりが、淡島ホテルのお花屋さんを紹介してくれた。すぐに1日職業体験をして、「卒業したらおいで」という社長の言葉で就職が決まった。

「体験行く?」「うん行く。」

「うちで働く?」「うん働く。」

人生が動く時は、そのうねりに身を委ねる。絶妙なタイミングで舞い込んだオファーに「YES」と言うことで、彼女のフロリストとしての人生が動き出した。

フロリスト土屋聡美誕生の瞬間である。

第二章 転機

バブル時代の終わりと共に前述の花屋さんが閉店しても、伊豆長岡の花屋、日比谷花壇(東急ホテル)と働くステージを変えながら聡美さんは花屋を続けた。気づけばキャリアは10年を越え、彼女自身30歳の節目を迎えていた。当時、花屋の仕事について「ひととおりのことはできると思っていた」という彼女に新しい転機が訪れる。

フラワーアレンジの世界チャンピオンから直接レッスンを受けられる機会があったとき、ノルウェーから来た講師と自分自身の技術の差に愕然とした。10年の経験の中で築いてきた自信がグラグラと崩れ、それまでの自分の技術に、急に納得できなくなってしまった。

とはいえお客さんから見たらそんなにひどい出来ではなかったかもしれない。

それでも。できるつもりになっていた自分に、他でもない自分自身が気づいてしまった。一度わかってしまったら、もう気持ちをごまかすことはできない。知らなかった地点には戻れない。自分に足りないものはなにか。考えに考えた結果、それは「理論として理解できていないこと」だという答えにたどり着いた。

職人気質の業界においては、先輩の技を’見て学ぶ’というのが当たり前だったけれど、それでは成長に限界がある。「この程度の実力では人には伝えられない。」そう思い落ち込んだのもつかの間、そこからの彼女は早かった。

聡美さんがまずがしたことは、英語のできる友達に頼んで前述のノルウェー人講師のもとに手紙を出したこと。弟子入りを申し出る内容だったけれど、残念ながら手紙の返事は来なかった。

「世界中を飛び回っている人だから仕方ない」

そうあきらめかけたけれど、粘りづよく情報を集め続けた結果、ドイツに彼女が求めることを全て学べる学校があると聞き南ドイツに行くことを決めた。学びたいものがある所、それがたまたまドイツだった。そうして彼女は、「第2のホーム」となるドイツに旅立った

第三章 独立

帰国後、彼女は独立の時を迎える。お店の名前は「Flower work Akkord」とした。ふらわーわーくあこると。Akkord(アコルト)というのはドイツ語で「和音」「合わせて奏でる」という意味。

彼女が借りているのは築60年以上の物件。もともとスナックだった建物を、友人に助けてもらいながら少しづつリノベーションして開業。店頭販売に加えて、ウェディングのアレンジメントや会場の総合プロデュース、販売用のリースやヘッドアクセサリーの制作、少人数向けのワークショップなども行っている。

フルタイムのスタッフはいないけれど、男性スタッフを含むウェディングの際の臨時スタッフが2人いる。最近は個性的なウェディングも増えてきているので、お手伝いをしてくれる妹さんの存在も大きいという。取材をさせてもらった11月上旬はちょうどクリスマスの準備が始まる頃だった。彼女ひとりで切り盛りしているため、この時期はウエディングの仕事を控え、クリスマスに全力を注いでいるという。

彼女はまた、講師として特別支援学校に出向いてのワークショップも続けている。技能士(国家資格)として年に一度派遣されて行っているもので、今年つくったのは、ピンポンマムなどを使ったフラワーアレンジメントの「蜂」だそう。

特別養護のこどもたちのリズムに合わせて、ゆっくり時間をかけて制作をする。この活動を彼女は今後も続けていきたいと言う。

第四章 これからのこと

去年10年ぶりにドイツの師匠に会いに行ったという。独立開業をして以来の「里帰り」である。100年以上続く老舗の店で、師匠はドイツのマイスターをもっている。花の世界は奥が深い。飽きることは、ない。自分の店を持って10年の区切りを経た彼女に、今後の展望を聞いた。

山王台の住宅街にあるお店。駅から歩けるというわけでもない。今の店舗が狭いなあと感じることもあるけれど、今の建物は増改築ができない物件なので、もし他のところにピンときたら越すかもしれないけれど、ビジネスとして「大きく広く」という思いは全くなくて、ご飯が食べられることとその中で自分が納得できるクオリティを保っていくことのバランスを大切にしている。

少し離れたところにオリーブやハーブ系ミントの畑を友達と共同で持っていて、自分で育てたものを商品に使ったりもしている。お店には育児中のママも買いに来るそうで、「一本でもいいですか?」と申し訳なさそうに聞かれることがある。そういう時は必ず「一本で十分ですよ」と答える。空間を楽しくするには、一本の花で十分。花にはその力がある。

もっとさりげなく日常に花のある暮らしが増えていくといいなと彼女は思っている。その考えの根っこにあるのは、人生の一時を過ごした場所、南ドイツでみた花のある風景。聡美さんが生活をしていたエリアには、頻繁に花の生産者がトラックで花を売りに来ていたそう。

イタリアやオランダなど花の生産国と陸続きだからこそのシステムだそうで、日本にはおそらくないという。トラックの中に冷蔵庫が備え付けられている、いわゆる花キャラバンだ。

街の花屋には、近所の人たちがコップを手にやってきて「これに活けて」という。豪華な花瓶はいらない。コップの花を食卓や家の片隅にちょこんと飾る。ちょっとした手土産にも花を気軽に贈りあう人々。そんな自然な花文化がドイツには根付いているという。生活における花の価値観が日本とは違うことを身をもって感じた。

これからの目標の一つとして、花を活かした新たな空間作りがある。小学6年生のめいがダウン症であるということが、インスピレーションの種になっていると彼女は言う。

もしも花屋である自分に次のステップがあるならば、他の誰かのために自分のスキルを活かしたい。花のある空間が新たな雇用を生み、障害が《輝く個性》として活かされる居場所になればいい。

第五章 彼女について

聡美さん自身について聞いた。

アジアン料理の辛いものが好きで、お酒はあまり飲まない。下香貫にある「Su-Ha」はひとりでいける数少ないお店。

年齢を重ねるごとに自分の体についても真面目に取り組むようになったという。糖質を制限して筋トレもする。体力作りの一環として、ほとんど毎日とにかく歩いている。少し遠くのスーパーまであえて歩いたり、簡単だけれど欠かすことのできない習慣になっている。

肥満児だった過去を笑いながら明かしてくれた。彼女が真剣に健康管理をする理由。それは、替えのきかない自分という存在へのプレッシャーがある。クライアントにとって生涯の記念となる結婚式のアポイントなど、絶対に休めない日をやり抜く自分でいる責任は常に感じているという。

怒っている自分の顔と、怒った後にくる暗い気持ちが嫌だから、あまり怒らない。

小さい頃は近所の四恩幼稚園に通っていた。沼津で一番古い幼稚園。いまでも毎日お弁当というスタイルを続ける、少し古風でとてもあたたかい園。聖劇などキリスト系のイベントも多くてたのしかったことを覚えているそう。段ボールの家を作ったり、ピンクのキリンの絵本を再現したり制作も思う存分させてくれた。

おとうさん、お父さんの兄弟、土屋さんの3兄妹も同じ幼稚園の卒園生。聡美さんの妹さんは3人の子供を育てる料理人。弟さんは水族館で働いている。それぞれの道で好きなことをつきつめながら輝き続ける3人。

道が違うからこそお互いを尊敬し、関係は良好だという。

最終章 こどもたちへ

子供に話すときは、「お花を贈る=気持ちを贈る」ということに触れて伝えているという。

花も人間と同じ生き物。《生きている》ということを含めて伝えている。花屋は大きく儲かる仕事ではないけれど、好きという気持ちが強いのであればやったらいいと思う。

「大人になるまでにしておいたらいいことは?」ときくと、興味をもったことはなんでもやってみることという答えが返ってきた。

本をたくさん読むこともおすすめ。聡美さん自身、文才があったらいいなと思うことが度々あるそうで、もっといろいろな本を読んでおけばよかったと痛感するという。

高校生の夏の日に本屋でであった1冊の本が、この未来につながっていた。きっとこれからも、ゆっくりとページを繰るように彼女の歩みは続いていく。あの笑顔に、また会いたくなってしまった。

店舗情報

Flower work Akkord
住所 沼津市山王台9-12
TEL・FAX 055-960-9577
MAIL akkord@cg7.so-net.ne.jp
営業時間 10:00-19:00
定休日 月曜日& 他
(出張講師・ケータリング等その他休業日あり)