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知ること知らないこと

朝のビーチクリーン活動を不定期にゆるく続けている。

「明日行く?」「行ける」

「今日行ける?」「だめだ、子どもが風邪ー」

ってかんじで。曜日とか時間を決めるのは難しいけれど、子供達を送り出してから、それぞれが車で海に向かって、作業をして、解散する。

時にはミッチと私だけで、時には友人と一緒に。話しをしながらじゃりじゃりと歩を進めるのは楽しい。集めたゴミがもっさりたまって、心地いい疲労も感じたりして、ふと見渡すと、来た時と全然変わらないんじゃないかって思うようなゴミのある景色が広がっている。そんな時は自分たちの無力さを感じて、「あーあ。全然ちっとも取りきれないや。」と思う。

 

それでも。

何度でも行ってしまう。風の強い日なんかは自宅にいても、「あーまた海岸が汚れるなあ」なんて思う。自分が思っていた以上に、海のある街に住んでいることに喜びを感じていたんだと知る。

 

 

海に行くたび、自分自身のプラスチックとの付き合い方についても考える。他の先進諸国に比べてだいぶ遅れている日本だけれど、デニーズでプラスチックストローの廃止が決まったり、レジ袋を廃止する自治体が増えたりと少しづつ目に見えやすい形、企業努力が評価されやすいかたちになってきていてうれしい。

私自身も、あまりに小さなアクションではあるけれど、少し前から新聞バッグを作ってみている。同居の義父の分も入れると、3紙を定期購読している我が家。古新聞だけは潤沢にある。

一応ふくろ風には出来上がっても、スーパーでの買い物にせめて数回は耐えうる強度にするには、取っ手のところと底の部分をもうちょっと工夫したいなあと思っている。検索したらサクッと出てくるのかもしれないけれど、せっかくならもうちょっと自分で練って、経験者の友人やコミュニティのばあばとかに教わりたい。

 

そんなわけで、いつもより念入りに新聞に目を通したりしている折、こんな広告を目にした。

こちらは読売新聞⬇️

そして朝日新聞⬇️

樹木希林さんの言葉を載せた宝島社の広告。

亡くなった後の「普通」じゃない結婚のスタイルをあまりに美化する報道には辟易としたけれど、この人の言葉には、理解したいと思わせる力がある。この記事の《水に流す》という言葉で思い浮かんだ顔があったから、大事なことは直接本人にだけこそっと伝えた。その内容はつぶやかず。アップせず。

 

すぐ調べない 教えない

気になったことをそのまま放っておく

 

実はこういう時間が楽しくて、最近クセになっている。

気になるなあ、知りたいなあと、ウズウズしたまま半日、1日、数週間、数ヶ月。

大抵のことはネットに載っているから、なんだってすぐに調べれば出てくるんだけど。あえて検索せず、しばらく覚えていて、それについて考えたり、忘れちゃったり、またふと思い出したりする。別に深く知らなくていいタイミングだったこととか、本当は必要なかったこととかはその間に淘汰されていくから、結果なんだか清々しい気持ちにすらなる。

最近でいうと、これがまさにそうで。

インスタで何度か通り過ぎたレインボーベーグル。どうやら近くに売っているみたい。でも詳細を調べないまま数ヶ月。なんとなく今かもということで先日お店に問い合わせの電話をした。

「あの。レインボーカラーのベーグルを食べてみたいのですが。」

曖昧な情報しかないまま聞いてみたら、通常は週末限定で作っているけれど数量がまとまれば前日オーダーもできると教えてくれた。ちょうど翌々日ミーティングの予定があったのでオーダーをし、無事入手。

オプションのクリームチーズ入り。チョコレートスプレーがまたかわいい。オレオクリーム味もあった。この鮮やかな色味は、アイシングクッキーにも使われる素材で出しているそう。ベーグルのみだと300円、各種クリームを挟むと500円。

こうして手に入れたカラフルなベーグルを意気揚々と持ってミーティングに行った結果、予想に反して同世代の友人がこの色味に驚いて恐る恐る食べていたのがおもしろかった。これこそがライブ感。必要なのは食べログの星の数ではない。目の前のこの反応こそがリアル。今回は単にベーグルの話なのだけれど、いろんなことをふと立ち止まって考えるきっかけになった。

ネットで見たおもしろそうなものを、実際に手に入れて友達と吟味する

その地点に至る時間の旅は少しだけ長くて、

事実《あす楽》より断然たのしかった。

ものや情報を手に入れるスピードがぐんぐん加速している。もっと早くもっと早く。早いのは便利、という単調な論理に基づいて世界が回る。そんな中にいると、ハンドルを握っているのは自分だという感覚が薄れてくる。情報が多くなりすぎることはまた、自分の中の、驚きを楽しむ気持ちも奪ってしまう。「ああこれ、みたことあるわ」ってな感じで。

早くなくてもいい、知らなくてもいいという選択肢を

無くしたくない。私は単純に驚きを楽しみたいのだ。こどものように。

先日。ふと立ち寄った商店街にあった中華屋で安いランチをした時、4歳になりたての次男が言った。

「まま、ここ外国みたいで楽しいね。おいしいね。」

初めて行ったお店。厨房にもホールにも中国人と思しきスタッフが忙しそうに動いていた。本当の「外国」にまだ行ったことがない4歳。本場がなにとか、味の評判がどうとか、知る由もない彼は、その時だけに存在し、そこにあるものを感じ取っていた。

席に着いた時、座席の横にあった荷物入れを指して

「ままの携帯も入れとくよ」ってせっかく言ってくれたのに、「大事な電話があるかもしれないからもってるよ」なんて言ったりしてさ。私もつまんない大人になったもんだ。今に、今だけに存在するスキルを子供たちに教わってばかりの、反省の日々。

 

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