You are currently viewing 金太郎の育児日記②proud NUMAZU kosodateより

金太郎の育児日記②proud NUMAZU kosodateより

こちらはproud NUMAZU kosodateのFacebookにて紹介させていただいた文章の転載です。

【金太郎の育児日記②】

ぼくの育児日記だが、話はまだ始まらない。
どうしてぼくにネコとニンゲンの弟ができたのか、話してみよう。

おとうさんとおかあさんは仲よしだ。
お夕飯の時とかよく一緒にお酒というものを飲んで、おしゃべりをしている。
ぼくはそのかたわらでごろんとしているのが好きだ。だから、二人のことはよく知っている。

おとうさんとおかあさんは結婚してから、こどもが欲しくてフニン治療というものをやっていたが、なかなかうまくいかなかった。2回目のリュウザンという出来事が起きた後、おかあさんはちょっと頭がおかしくなったらしい。「これはまずい。」とおとうさんはおかあさんを心配したのと同時に、自分の肥満もお医者さんに注意され、散歩目的でぼくを飼うことにしたそうだ。

ぼくと出会った日、おとうさんとおかあさんは違うイヌを見にきていた。だけど、怒られたばかりのシュンとしたぼくと目が合って、おりこうさんにみえたらしい。2人は悩んだようだけれど、ちょうどハロウィンセールで値引きされたのをみて、「これは運命。」とその日におうちに一緒に行った。

おとうさんは順調に痩せて、おかあさんも少しずつ元気になっていった。
こども作り活動はしていたけれど、できなかった。おかあさんが悲しんでいるときには、ぼくは一生懸命慰めた。
おかあさんは科学の力を借りてもこどもができないから、あきらめよう!と悟ったらしい。

あ、ネコの弟はぼくが1人でお留守番しているのもかわいそうだから、という理由でもらわれてきた。

 

ある日、おとうさんが嬉しそうに小躍りして仕事から帰ってきた。
「知り合いの家に赤ちゃんがきたよ!児童相談所からもらったって!」と。
おとうさんとおかあさんは、いきなり盛り上がって「それ、いいね!」と次の日には児相に駆け込んでいった。

特別養子縁組をするには、まずは一定の研修を受けて里親認定を受けなくてはいけないらしい。
研修は年2回しかやってないのに、最初のチャンスはおかあさんが「その日はスカイダイビングだから。」ということで、やめた。

半年後の研修の日には、ずっと楽しみにしていたミュージカルの日で、しかもかなり良い席だったけどあきらめて研修に行った。
思えば、スカイダイビングをやめて研修に行っていたら、タイミングが合わず、今の弟には会えなかったかもしれない。

しかも、児相に希望を出していたこどもの年齢はせめて1歳半くらいまで、と伝えていた。
どういう運命か、年末の仕事納めの日に児相から3歳の男の子がいるけど、どう?と電話がきた。年明けの仕事始めまで考える時間ができた。「3歳は無理だよ。」という気持ちから、「会ってみようか。」に気持ちが変わったようだ。

会ったとき、おとうさんは自分の弟に似ていると思ったらしい。おかあさんは予め聞いていた名前とイメージががっちり一致してびっくりしたようだ。

弟はかなりの慎重派なので、特におとうさんと話すまでに2か月くらい時間が必要だったらしいけど、おとうさんとおかあさんはもう可愛くてしょうがないという感じだった。

おかあさんはやっぱり赤ちゃんの方がいいのか?なんていう葛藤があったみたいだけど、話は順調に進んで、弟は家にきた。

やっと、やっと、「ぱぱ、まま」と呼んでくれる可愛いこどもがきたのに、弟が家にきて12日目、おかあさんは朝、泣きながら家を飛び出した。

自己紹介: きんママ。
沼津在住、現在、特別養子縁組予定で4歳の男の子の里親中。夫、イヌ、ネコと同居。

コメントを残す

CAPTCHA