はじめての雪。ちゅめたい。



最近のマイファミリー、末っ子ミッチの言動に家族一同和むことしばしば。言葉は、ただ単語を発するだけの段階から、いくつかの言葉をつなぐ段階にステップアップして、自分の心が他人に伝わることを彼女自身も喜んでいるのがよくわかる。
本日の時点で1歳9ヶ月3週と4日。
予防注射を3本うった時にはすこしも泣かず、先生にバイバイをして診察室を出たところで静かに「いちゃかたのよ。(痛かったのよ)」と私に言った。
朝起きるとすぐ絵本を持って父さんを起こしに行って、「あしゃよ(朝よ)。よんでちょうだいよー」。と詰め寄る。
アニを小学校に見送り、チロを幼稚園に見送るたびに「ちーゆー(SEE YOU!)」と手を振り、無駄吠えをするハチには「うるちゃい!」と声を荒らげたりする。
そんなミッチから、《あかちゃん》という感じはもうすっかり消えた。それはそれで淋しい気もするけれど、いまの彼女は好奇心と自我がむきだしで、その存在自体が、うつくしい。自分の価値に疑問をもったり、置かれた環境を嘆いたりしない美しさに満ちている。昨日と今日の彼女は別人。新しいことをスポンジのように吸収して進化し続けている。
「ああかわいい。かわいいのかたまり。みっちゃんはママのかわいいのかたまり肉。」
と、わかるようなわからないようなことを毎日毎日言い続けたら、
「みっちゃんはおにく。おにく。」
と本人もつぶやくようになった。抜き出し方が独特だけれど。


そんなお肉ちゃんは、どこに行くにも晴れでも雨でも長靴。時にはレインウェアまで引っ張り出してきて、着せてくれとせがむ。いっときは取れるかなと思ったオムツは一進一退でまだもう少し時間がかかりそう。オムツの上に《おねえさんぱんつ》と呼ぶプリンセスのプリントがついたパンツを3枚重ねて履く。その《履く》という作業も自分でやりたい。ちょっとでも誰かに手伝われると、全部脱いで最初から自分でやり直す。アリエルの上にシンデレラ、その更に上にはラプンツェルといった具合。



そんなミッチの母な私。3人目を育てているとはいえ、自分の母力が上がったとは全然感じていなくて。ただひとつ、以前より少しだけうまくやれているかもなあと思っていることは、《漠然とした常識で、大切な好奇心を潰さないようになった》こと。
長靴は雨の時だけ、じゃなくてもいい。
パンツは1回に1枚、じゃなくてもいい。
人に迷惑をかけない楽しみなら、思う存分やればいい。そう思って彼女と接している。少し先の未来で社会の仕組みがわかれば、きっと自然としなくなることがわかっているから。この感情には、マチチロにもこうしてあげられれば良かったという反省も、大いに入っている。今でものびのーーび生きている彼ら。止められなかったら、パンツを10枚くらいづつ履いたかもしれないな。