先週アニが小学校に入学し、今日チロが幼稚園に入園した。

この春は、なんとなく物悲しいというか、なにかの終わりのような予感がどこかで常にしていた。その理由ははっきりとはわからなかったけれど、そんなときは静かにしているに限る。というわけでほとんど市外に出ず、近距離でのんびり3兄妹と毎日をすごした。
多比の山を歩いたり、いろんな公園に行ったり。1日外に出たら、次の日は家の中。一緒に買い物をして料理をして片付けをして。模様替えで、家の中にそれぞれのプライベート空間をつくってみたり。

シャンパンも豪華なパーティーもなかったけれど、ただ一緒に桜を見ることもできた。「ママ、これがお花見?」「そうだよ」「たのしいね。お花見。」

そんな風に春休みをやりきってふと気づいた。
何かの終わりの予感。それはきっと、わたしの人生の中の「小さいこどもが一緒にいるじかん」だ。
一番上のアニでさえやっと小学1年生。ミッチにいたっては絶賛授乳中。まだまだ小さい手のかかる子に囲まれているのだけれど、アニがおぎゃっと産まれてからここまでの約6年を思い返すと、なんともあっという間に、むしろあっけなく過ぎてしまった。この分で行くと3人ともいつの間にか「ママ聞いてー」なんて言わなくなるんじゃないか。そう思うと無性にさみしくなってきた。
毎日ちゃんと彼らを見ていた、はず。でも貴重な瞬間をいくつも見逃してしまった気もする。毎日のタスクをこなすのに必死で、彼らをいつも急かしてしまったかも。こどもの体温に挟まれて眠る毎日は、本当はもうあまり残っていなのかもしれない。

卒園式で見送られたり、桜が散っていくのを繰り返し見たことで、想像力が必要以上に掻き立てられたのかな。子育てが終わった先の自分のさみしさを、あまりにリアルに体感してしまった。
空想の未来まで出かけて行って、今の時点に戻ってきたら、アニのお支度がマイペースなのも、チロの舌ったらずも、ミッチの大泣きも、全部全部フレームに入れてとっておきたい、そんな気持ちになった。

この濃密な時間には、終わりが必ず来る。でもそれは今じゃない。そのことに感謝の気持ちが溢れる。
急いで出かける直前のウ◯チおむつ、ありがとう!
片付けていないブロックを踏んで、イター!ってなる夜中、ありがとう!
「オレ今日はふりかけごはんがいい」って毎日いうチロ、ありがとう!
洗濯の山、あーりーがーとー!!
もはや、感謝ハイ。感謝しかない。そんなはずないでしょうに。
とはいえこの感謝ハイも、日々の中で絶対薄れていく。そうしてまた、「早くしてー」って大きい声を出す私が戻って来る。だから自分のための備忘録をここに残す。大事なことを思い出して、また忘れて。それでまた思い出して。本当の終わりのときを迎えるまで、きっとこんなことを繰り返すんだ。

そうして彼らが大人になったら、この毎日のことなんて忘れてしまうかもしれない。でもそれでもいいや。私が覚えていよう。